2008年05月07日

ドラマは、ドラマ。

3日からはじまったGWっちゅうもんは、
途中一日仕事になってしまったもののほぼ休めた。
そのうちの一日は、柳川に日帰り旅行したり、
結構充実してたような。

で、最終日の6日は「何か一本映画を観る」と
前日から心に決めて、朝いちばんに歩いて行けるシネプレックス熊本へ。

「クレヨンしんちゃん」や堂本の「スシ王子」など
ファミリー向け、若いもん向けの映画を横目に
前々から気になっていた「相棒」をチョイス。

なんかベタな刑事ものながらも、
水谷豊の絶妙なキャラがツボだったんで、
普段はドラマを観ないけれど最近再放送でチェックしてたんだよねぇ。
あ、映画があるから再放送が多かったんだ。ふーん。

ぶっちゃけ、ドラマが映画になるっていうのは、
そのドラマの完成度が高ければ高いほど、がっかりしてしまうことが多い。
木更津キャッツアイなんてその最たるもので、
1時間という短い時間の中でテンポ良く凝縮されているからこそ
「お〜もろ〜」なのに2時間に無理矢理ひっぱって内容をてんこ盛りにすることで
そのドラマがもっていた魅力が半減しちゃうんだよなぁ。
大好きな「踊る大捜査線」もそうだったし。

でも、「相棒」自体(もう8年くらい続いているんでしょ?)
ドラマを観たのは最近だし、そのドラマだって2時間スペシャルのやつだったし
そんなドラマと映画のギャップを感じることも少なかろう。


……

やっぱり、ドラマだった。


確かに水谷豊のキャラは相変わらずおもしろかったし、
途中何度も「ぷっ」と笑えるところはある。
ストーリーも絶妙に練られていたものの、映画としてはどうなんだろう。
ああいった類のものは、お菓子でも食べながら、
テレビにつっこみをいれつつ、誰かとくっちゃべりながら観るのが
やっぱり楽しいんだなぁ。
確かに、映像は迫力あるけれどね。


フジ系の「SP」も、ドラマで引っ張るだけ引っ張って、
映画にもつれこむってことやってたけど、
正直、これもどうなんだろう。
ま、あのまま終わるのは気分が悪いので
劇場に足を運ぶのは、運びますけどね。


posted by さとる at 07:17| 熊本 | Comment(29) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月24日

想像力と記憶が、世の中とつないでいた。

本当に、本当に、久しぶりにアップします。さとるです。
この数ヶ月、映画館とは無縁な生活をしておりまして、
さらに来週からはわが家に「地デジ」なるものが導入されるわけで
ますます映画館離れになることが、自分でも怖いです。

今あるテレビは、昔バイトしていた会社の上司が、
ゴルフの「ブービー賞」でもらった賞品で、タダでもらった上に、
ちゃっかり家電の寿命といわれる10年も立派におつとめを果たしてくれたので、
液晶テレビをこの際贅沢しても罰はあたらないだろうってことで。
奮発して、sharpのアクオスを買っちまいました。あー、ビンボー万歳。


ま、そんな自分の生活事情なんてどうでもいい話は置いておいて、
ひっさしぶりに「映画館で観たい映画」に出会えたので行ってきました。


「潜水服は蝶の夢を見る」


前情報は、ポスターのみ。最近は、映画の情報誌ともとんと離れてしまったもんで、友達と話していても、浦島太郎状態です。
「ELLE編集長」「実話」「20万回の瞬きで本を書き上げた」という、断片的な情報だけでも、何かこう、グッとくるものを感じていて、公開されたその週にいそいそと行ってきました。

映画は、主人公のジャンが病室で目覚めるところからはじまります。
自分に降りかかった出来事を理解できず、ただ呆然と周りの状況をうかがう彼の心情が、目覚めた彼の“目線”で描かれています。
ロックト・インシンドローム。
意識ははっきりとしているのに、体の自由が全くきかない。自分の意志の通りに動いてくれるのは、左目の瞼のみ。この症状を例えたのが「潜水服」というワード。

周囲の投げかける言葉は全て理解できる。その言葉によって、感情が昂ぶったり、何かを伝えたい思いは湧き出でてくる。手をさしのべ、そこに居る愛しいものに触れたい思いが募る。…だけど、体だけはその意志に全く反応しようとしない。
想像するだけで、なんて、もどかしいんだろう。

そんなジャンに、言語療法士アンリエット(この人がむっちゃ美人!!)が左目の瞬きだけで会話する方法を編み出してくれる。使用頻度の高いアルファベットを読み上げ、伝えたいワードを瞬きで合図する。一字一字、その作業が繰り返される。その方法によって、ジャンは自伝を書くことになる。「20万回の瞬き」で。


だいたい、天の邪鬼な私は、こういった「難病もの」「再生もの」といった、“どん底からはい上がって、幸せを手に入れた”という話は苦手。
ただ、この映画の素晴らしいところは、それが実話であるということ。そして、その自伝を書くまでの主人公の気持ちの動き、家族や友人、仕事仲間、恋人との関係が、妙に人間くさいところ。ドラマチックな仕立てではなく、実際にこの苦悩を乗り越えて、世界中で読まれることになる自伝を書いた本人を、ヒーロー的に祭り上げるわけでもなく、感情の動き、人との関係を、忠実に再現しようと試みている姿勢が手に取るように感じられるのだ。それは、製作スタッフ(特に監督や役者たち)が、ELLE編集長として地位も名声も手に入れたある男の、人生そのもの、日常というものをリスペクトしているからに違いない。ひとつのドラマの「ネタ」としてではなく。

映画の中で、ジャンが印象的な言葉を投げかける。
動かない体に閉じこめられた意識には、「自由な想像力と記憶がある。」


何一つ不自由のない生活を送り、些細なことで落ちこんだりはしゃいだり、誰かの文句を言ってみたり、こうやって自分の言いたいことを誰かに伝える。
なんでもない日常に、もっと感謝しなくちゃ。


posted by さとる at 19:55| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月30日

どもれども、どもれども

正直、しゃべるのは苦手です。
が、ここだけの話、人前で「講談」っちゅうやつをやったことがあります。
なんでそんな無謀なことをしたのか、今でも不思議なくらい。
約10名弱の観客を前に、神田紅葉(だったと思うが)の持ちネタ
「宇宙戦艦ヤマト」(だったと思うが)を演じた。
たった10分足らずの時間のために、何日も、何週間も練習して。
人前で、自分のしゃべりを披露して、それで聞いて貰うということが、
いかに難しいことか。さらに、笑わせるなんて…。
ものすごくいい経験をさせてもらったと、今では思っていますがね。


「しゃべれども しゃべれども」


いやぁ、ホント、楽しませていただきやした。
映画が公開される前は、「国分太一がすごいいいらしい」という噂が
ちらほら聞こえてきていましたがね。
噂っつうか、マジですごい良かったっす!!!!太一くん。

(↓ここから、枕風に)
「しゃべる」ことを稼業としている落語家(二つ目)と、
「しゃべる」ことにコンプレックスをもっているおっちゃんとお姉ちゃんと小学生。
何のご縁かわかりませんが、しゃべり方教室ならぬ、落語教室なんぞ開きましてね。
それで、その4人の交流を描いてるわけですが、
っこれまた、生徒である3人が一筋縄じゃいかない輩ばかりでして。
特にね、何に怒ってるかまったく理解不能のお姉ちゃん。
これを香里奈が演じてるわけですが、
わけのわからん性格おブスちゃんって役どころなのにさ、
あまりにキレイなもんだから、そういう風に見るのがつらくってねぇ。
ま、そんなアラとか挙げちゃぁ、キリがないけれど、
なかなか楽しませてくれるんだなぁ、これが。



ま、これをずっと続けると疲れるので、戻りますが。
とにかく、全体的にみたら、ちょいとムリのあるラブストーリーなんですが、
それはそれでよし。
落語のシーンが、いいんっすよ。それぞれの。
落語教室に通う小学生の男の子が、もうあっぱれだね。
自分で書いてて、なんかわけがわからなくなってきましたが、

「で、どうなの? この映画?」

と聞かれたら、即答で

「楽しい!」

と答えられる映画です。ホント。
下町風情もすごく良く描かれているし、
人間のおもしろみっつうか、哀しさっつうか、愛すべきところが
てんこもりです。

個人的には、伊東四朗の「火焔太鼓」が好きでしたね。

posted by さとる at 01:00| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月11日

アイドル進化論。

わたしの勝手な論理なのだが、
最近のアイドルは実に「器用」で、
とても「身近」に感じるのに「遠い存在」。
かっこよくて、歌がうまくて、キャーキャー言われる
ちょい昔のアイドルとは、明らかに「質」が変わってきていると感じる。
いや、「質」がいい悪いの問題ではなく、
立ち位置だとか、求められる価値観が変わってきている。
その大きな功績は、他でもないSMAPだと思う。
高校(あれ、中学かな?)の頃、
深夜番組の「夢がモリモリ」で彼ら(当時は6人だった)が
登場したときは、正直びっくりした。

アイドルなのに、バラエティ??

当時、ティーンエージャーだった彼らが、実に一生懸命に「コント」に
チャレンジする姿から目が離せなかった。
今もそのスタイルを踏襲しつつも、ドラマや映画、バラエティの
第一線で活躍し続けているのは、ほとんど「驚異」だと思う。

別にわたしがSMAPの熱烈な信仰者というわけでもないのに、
なぜか彼らが出ている番組はついつい見てしまう。
それを、楽しんでしまう。


それに、TOKIO、V6、嵐と続く。
昔は、かっこよくて、歌がうまい(うまくないアイドルもいたが)お兄さんでよかったのが、おもしろくて、人を楽しませることも要求される。
ある意味、アイドルは過酷な稼業なんじゃないかと。



「黄色い涙」

嵐びいきの小倉さんが、「いやぁ、おもしろかったよ」とコメントしてたので、
ついつい見に行ってしまいました。
昭和40年頃の東京で、漫画家、小説家、画家、歌手をめざす若者が主人公。
もちろん、嵐の面々が演じている。
ひょんなことから出会った4人が、
なぜかひとつ屋根の下でいっしょに暮らすことになる。
しかも、夏の数ヶ月の間。
それぞれの夢にむかって頑なに歩きつつも、
金が少しでも転がってくれば贅沢な暮らしに浸ってしまう意思の弱さをもっていたり、その時代の若者像を演じている。

一昔前のアイドル映画とは、一線を画した時代設定だなぁ。
しかも、彼らがいわゆる「かっこわるい」というか「普通の若者」を、
栄光と成功とは縁のない世界にいる人を演じているところも、
昔からは考えられない。

…わけだが、アイドルという刷り込みから、その生活の悲惨さがあまり実感として湧いてこないのが正直なところ。
ま、それでもいいんです。
ハリウッド映画にも出演した経験をもつ二宮くんが物語の軸になっているのだが、
やはり彼はいい味出しているし、意外とリーダーの大野くんがおもしろい。
ちょっと不思議だったのが、今をときめく松潤の出演時間がやたら短いこと。

映画としては、「ここで終わってほしかった」というタイミングを無視して、
延々と無駄なところまで語られるところがちょいと耐えられなかった。

結局、映画の最後のシーンを見ずに帰ってしまった。
別につまらない映画でもないし、よくつくられた映画だとも思う。
何で帰ってしまったんだろう、と後から思ったけれど、
あれ以上見せられるのはちょっとつらかった。
映画館で途中で帰ったのは、これで2回目。
1度目は最初から怒りを覚えるような映画だったので仕方ないけれど、ね。

銭湯のシーンで嵐の5人が裸で語り合う時に、
なぜか桜井くんだけがお尻を披露していた。
余談ですが。

posted by さとる at 12:23| 熊本 | Comment(10) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月12日

見えない絆。

ちょいと前にオープンした六本木の「東京ミッドタウン」。
えらい騒ぎでしたねぇ。初日の来客者17万人だって?
もうすでに、その数字を見ただけでも人酔いしそうな勢いです。ほんと。
中でも騒がれてたのが、そのサービスというかおもてなし。
なんかホテルのコンシェルジュみたいな方々がいて(その数がハンパなく多いらしいけど)、「近くの花屋はどこか?」と聞けば、ご親切にビルの外の店であっても近くまで一緒に案内してくれるんだと。
痒いところに手が届くサービス以上に、痒いところを掻いてくれるサービス。
ま、ご近所の六本木ヒルズとの差別化としてやってんだろうけど、
この過剰なまでのサービスはどうかと思うわけですよ。
うまく言えないけれど、サービスのためのサービス、のような印象を強く受けてしまう。
このような過剰なサービスを見せつけられれば見せつけられるほど、
人と人との関係性が希薄な世の中を浮き彫りにしているように思えてしょうがない。
考えすぎなんでしょうかね。

ま、それはいいとして。




今回、1ヶ月ぶりに見る映画として選んだのは、


「善き人のためのソナタ」


最近、映画雑誌とか、そういう類のものを読まなくなったので
どんな映画なのかまったく白紙の状態。
強いて言えば、
○東ドイツ(ベルリンの壁崩壊前)の話
○アカデミー賞の外国語映画を受賞
それくらい。
映画好きなおばがしきりに、
「さとるちゃーん、ぜったい見なきゃだめよ」
と勧めるもんだから、レディースデーの今日、夕方から時間ができたので急遽見に行くことに。

いやぁ、おばちゃん、ありがとう。
素晴らしい映画です。

映画の善し悪し(というか好き嫌い、になるのかな? 思い切り主観なんで)は、ラストで決まる、と思っている。どんなに退屈な1時間59分があっても、最後の1分でふんぞり返るくらいの笑いがあったり、震えがくるくらいの感動があれば、それで良し! なんだよなぁ。
逆に、どんなにおもしろい1時間59分があっても、最後の1分が「なんじゃそりゃ!」と怒りにふるえるシーンだったり、嫌な後味を残せば、すべてダメ! とさえ思ってしまう。
もちろん、2時間全速でノリノリッであればそれにこしたことはない。でも、疲れちゃうけどね。

舞台は、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツ。
反体制分子を監視する史上最大の秘密組織と言われるシュタージが、
東西統一後、はじめて映画で描かれている。という。
劇作家ドライマンと、その恋人である舞台女優クリスタが
反体制である証拠をつかむために盗聴を命じられたヴィースラー。
彼らの日常の言葉を聞き、行動を監視しているうちに、
ヴィースラーの心境に変化が…。

…というあらすじ。

ヴィースラーの心が徐々に動いていく課程や、
彼がとる行動の変化。
その、なんとも微妙な、ほんとに微妙な機微を、
ウルリッヒ・ミューエという男優が見事に演じきっている。
それだけでも、一見の価値あり!
そして、私が最も心を動かされたのは、
盗聴される側と、盗聴する側。
決して顔を合わせて交わることもない、言葉を交わすことのない
この関係性の中に、ものすごいドラマをつくりだしている脚本。
触れ合わないところに見る、人と人との深い係わり合いが、
胸にズーンッと重く響く。
そして、物語のすべてが、ラストのワンシーンに向けて
静かに積み重ねられる巧みな演出。
若干33歳という監督の手腕に脱帽してしまう。
それも、約4年という長い年月をかけたリサーチの結果なんだと思う。

次から次へと、大量生産される映画産業。
その中で、他を寄せ付けないほどの輝きを放つ作品は、
やはり、「伝えたい」という熱意がつくるものだと確信した。
その「伝えたい」ものが、結果的に「エンターテインメント」になるわけだ。


posted by さとる at 00:07| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月12日

セレブの生活。

高校の時、世界史が大嫌いだった。っていうか、今も苦手。
もともと記憶という能力が極端に欠如している上に、
カタカナだらけの地名や名前。
教科書開くだけでもうんざりしてた。
世界史の先生が25歳の小柄な男性。あだ名は「ほにょにょ」。
ある一部のコアな学生から絶大なる人気を得ていた色白男。
言動は格好つけてんだけど、彼にはある妙なクセがあった。


授業中に、何度も生徒の目を盗んで何度も
股間(キャッ)を「ほにょにょ」とさわるクセ。

彼は生徒たちが気づいていないと思いこみ、
教科書を開いては「ほにょにょ」、
生徒に質問を投げかけては「ほにょにょ」。
世界史の時間は、彼の「ほにょにょ」回数をノートに
「正」の字を書いて数えるのが
私と友達の密かなブームだった。
確か、最高記録は26回だったと思う。(そんなところは記憶力がいい)


今回観た映画は
コッポラ(娘)監督の「マリー・アントワネット」。
世界史で必ず出てくるお名前。
世界史嫌いの私でさえも、知っているお方の物語。

CMで流れるテンポの良い曲、色とりどりの王室ファッション、
ビビッドなスイーツの数々。
しかも、史上初ヴェルサイユ宮殿でのロケ!!!!
その映画美術だけでも観る価値アリ!と判断した私は、
迷わず映画館へ向かった。

歴史的背景のことは、一切無視して。

ま、彼女が贅沢三昧してたおかげで市民革命が起こって
それで処刑されたくらいは知ってますよ。一応。


映画は、マリーの日常生活(といっても一般ピープルには非日常)を
淡々と描いていた。淡々とした中に、あのきらびやかな衣装、小物、食べ物が
色を添えている。
どうも、モダンな映像技術とロックな音楽で、
王室に暮らすティーンエイジャーの暮らしを「等身大」に見せたかったそうな。

ま、歴史上の人物を身近に感じられるような演出はいいかな、と。
でも、なんかこう、等身大といえども、彼女の気持ちの変化というか、
葛藤とか、いらだちとか、そんなものが一切伝わってこないもんだから、
等身大で「生身の」ティーンエイジャーと感じられなかったんだよなぁ。
残念ながら。

ただただ美しくて、おしゃれで、スタイリッシュで、モダンで、
その上っ面だけ、見た目だけに力を注ぎすぎたんじゃない?

確かに、画面に出てくる小物、洋服、靴、すべてかわいい!
映像の色合わせが絶妙で、女心をくすぐる。

CMだけで充分だったかな、と思ったひととき。
posted by さとる at 15:20| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月08日

命を大切にしない奴は、私も大嫌いだ!

吾郎ちゃんには荷が重すぎたんじゃない?

SMAPのことじゃないよ、V6にはちょいとは関係するけど。
「ゲド戦記」のこと。
いやぁ、ジブリだから、駿ちゃんの息子だから(?)、
菅原文太だから、って不安ながらも期待せずにはいられなかった
わけなんだけど、観た人の話を聞いてみるとどうも反応は

「いまいち」

それでも、

「駿ちゃんが原案で関わっているし、
不安要素はあっても、なんとかいけるんじゃ」

と、心の中のどっかで思ってた。
だってそう思わせるのが、ジブリってもんでしょ。
今観るべきか、最後までとっとくべきか、
悩んだ挙げ句、「今観とかないと、観られないかもしれない」という
結論になって、土曜のレイトショーに足を運んだ。

土曜だし、レイトショーだし、若者でいっぱいなんだろうなぁ…

そんな心配は、映画館に着いた途端に消えた。

人が、少ない…。

チケットを買うとき、映画館の人は「今日は混雑してますから…」と
言ってたから、きっと館内はギューギューなんだぁと入ってみたら、

ガラガラ…じゃん。

混雑しているのは中央後方の見やすい席だけ。
これで「混雑してる…」と表現するあたり、毎日どれだけガラガラなのか想像するのも容易い。おいおい、大丈夫か。


(映画がはじまる→映画が終わる)


そして、私の不安は現実のものとなった。

原作を読んでいないから何とも言えないけれど、
壮大な物語の全容を見せるために、
端折って、つなげて、2時間にまとめました!
…という印象が拭いきれない。
長い予告編を見せられているような気分だった。

まず、キャラクターが生きていない。つまり、キャラクターの命を大切にしていない。そのキャラクターがその行動をするまでに、どんなバックグラウンドがあったのか、どんな気持ちの揺れがあったのか、何を経験していたのか、その他いろいろ、何にも見えてこない。
全てを説明する必要なんて、これっぽっちもないと思うけど、
セリフひとつにしても、何にしても、それを表現する手段はあったはずだ。
CMで流れる「命を大切にしない奴は、大嫌いだ」だって、
あんな場面で言われてもなぁ…って、正直残念だった。
主役級のキャラ、だけでなく、脇を固めるキャラにも全く魅力を感じない。
キャラクター設定に、非常に迷いを感じた。特に、ハイタカ(ゲド)がもったいない。菅原文太、あれじゃぁ、彼を使った意味がないよ。もったいないお化けが出るよ。あ、古い。

絵も揺れていた。手足の動きに「ん?」と妙な違和感と不自然さがあったし、体のバランスが途中バラバラだったような感じを受けた。色づかいとか、風景の描き方とか「お、さすがジブリ」と思うところもあったけど、全体のバランスがよろしくない。
って、偉そうなこと言ってるけど、ズブの素人にそれを感じさせることが、一番まずいんだと思うんだけど。

日ごろは「うん」とか、「いや」とか、「お腹すいた」とか、生きていく上で必要最低限の言葉しか発しないツレが、「オレは怒った…」からはじまって延々1時間半、「ゲド戦記」の気にくわないところをしゃべりまくっていた。
これはちょっとうざかったけど、奴も私も宮崎駿のアニメを観て、感動して、何らかの影響を受けて育った世代。その気持ち、よぉわかるよ。

はっきり言って、観に行ったことに関しては全く後悔していない。
だけど、新世代ジブリの未来が、ちょいと不安になったぞ。
posted by さとる at 13:07| 熊本 | Comment(2) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月29日

初体験。

人と人のつながりって、とっても細い糸のようなもので
乱暴に扱えば、すぐに切れてしまったり、
自分からたぐり寄せなければ、その間は縮まることはない。

何か不意なことで切れてしまっても、
また違う何か不意なことでつながる時もある。

その全てを握っているのは、
他ならない自分自身の想像力なんだと思う。
想像力こそ、相手を思いやる気持ちなんだと…


最近の自分を、プチ反省。


「RENT」

最初の5分間で、号泣してしまった。
こんなのは、はじめての経験。
実は、この「RENT」の予告版を劇場で観ても泣いた。

♪525,600minutes, How do you measure〜♪

とはじまるオープニングの曲。コレに完全にノックアウト。
一年を何で数えるか。笑った数、泣いた数、誰かの死の数…
私は、何で数えるんだろう。考えたこともなかった。

食事の回数かな〜。
一日3食として、一年で1095食。おおっ、食ってるな〜結構。
何を食べるか、誰と食べるか、どこで食べるか…
様々なことを毎回、毎回思い描きながら、
そして実際に食べる瞬間。幸せな時間〜。

1996年にNYで舞台として公開されると同時に爆発的な人気となり、
たった3ヶ月でブロードウエイの大劇場に進出したという、伝説のミュージカル。
その舞台と同じ俳優で、映画として作られたのが今回の「RENT」ってわけだ。

ドラッグ、エイズ、ゲイ…、様々な何かを抱える男女が、
クリスマスからの一年間、NYの街の片隅で肩を寄せ合いながらも、
生きている姿を描いている。こう、短く説明してしまうと味気ない。

印象に残ったのは、ANGELというドラッグクイーンの存在。
仲間の間に張っている細い糸を、しっかりと結びつける彼(女)には、
ひどく心を動かされた。

当たり前のことだけど、出てくる人みんな歌がうますぎる。
ロックをベースにした音楽は、決して全て私の好みではなかったけれど、
歌詞に込められた一人ひとりの心の声にグラリとくる。

2時間半近くの時間が、ちょっと長い気もした。
とてもいい映画だとは思うけど、やはりあれは、生で観るべきもの。

隣に座っていた、粋なおばちゃん二人組が、終わった後に

「こりゃ、舞台ば観たかね〜」

と言っていた。同感です、先輩。
posted by さとる at 00:22| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月28日

表裏一体。

最近思うこと。
敵をつくらなければ、味方は得られない。
誰彼にいい顔して、好かれよう、好かれよう、とすれば
結局は、「いい人だね」って好かれるだけだ。

嫌われることは、愛されることと表裏一体なんじゃないか。

「嫌われ松子の一生」

この映画を観て感じた。


いやぁ、笑った、怒った、哀れんだ、踊った、泣いた。
2時間ちょっとの時間だったけど、いろんな感情を吐きだした。
それもそうだろう。だって、この映画は松子という一人の人が
生まれて、そして死んでいくまで、一生分を凝縮して
描いた映画だもん。

だいたい、小説を原作にしたものって、その世界観を忠実に再現して
失敗するか、エピソード、というか要素だけを抽出して、
独自の世界観で塗り替えて失敗するか、
「オリジナルあるの? 読んでみたい」と思わせるか、
「オリジナルあるの? どうせつまんないでしょ」と思わせるか、
原作のイメージを変えることなく、映画としても完成させてしまうとか、
様々だと思う。
これまで出会った原作有りの映画だと、(私的に)失敗することが
多かったんだけど、この映画は他のどの作品とも違った。

オリジナル読んだけど、どうだっていい。

歌あり、踊りあり、サスペンスあり、笑いあり、
何でもありの極上のエンターテインメントに仕上がっている。

オープニングからぶっ飛んだ。
なんじゃ、こりゃ。映画か、これは?

でも、それもどうだっていい。

映像にも驚いた。
映画というよりも、コマーシャル的な映像美術。
ギラギラしているのに、妙にホコリっぽい。
現実感を排除しながら、妙にリアル。

でも、それもどうだっていい。


自分では到底経験できないような、
それでいてもしかして自分の身にもいつかふりかかってくるかもしれない、
そんな松子の一生を、映画を観る人は一緒に体験する。
…というか、私は体験した。


映画が終わった後、一生分の感情を吐きだしてしまって、
グッタリして家に帰った。
スポーツで(滅多にしないけど)汗をとことんかいて、
その後の疲れのよう。グッタリだけど、スッキリ! みたいな。

もちろん、即パンフレット買い。
もちろん、DVDも買う。

今日は、良く眠れそうだ。
posted by さとる at 17:57| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月24日

Vの復讐。

明治維新の立て役者となったかの西郷隆盛は、
「焦土と化したところにこそ、新しい世界は生まれる」という考えの持ち主だったらしい。その時代の日本をすっかり“破壊”して、無の状態から新しい世界が築かれるというのだ。
結局は、坂本竜馬の働きかけにより、多少の犠牲はともなったものの明治という新しい世界は幕をあけた。

近未来の官僚独裁政治の恐怖と、復讐に燃えるある男“V”を描いた「V フォー・ヴェンデッタ」を観た後、このことを思い出した。
映画の幕開けは、“V”による破壊だ。
なんとも不気味なお面を被った“V”が、過去に非人道的扱いを受けた相手に復讐する話を主軸としているのだが、これが単なる復讐劇ではないことが映画のオープニングですぐに明らかになる。
1980年代に描かれたコミックを原作にしているが、その時代に描かれたとは思えないくらい、現在の社会と符合する。
…って、映画制作は現代に生きる人だから当たり前か。
オリジナルは読んでいないが、ウォシャウスキー兄弟(マトリックスね)は独自の世界観を織り交ぜながら、進化させているらしい。

監督はこの作品のことを「一言でくくれば、政治色の強いスリラー」と言っている。なるほど、そういう色は強い。だけど、私は「崇高なラブストーリー」だと感じた。観る人によって、きっと感じ方は変わるだろう。


ラストの“解放”には、震えがきた。
posted by さとる at 00:56| 熊本 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月16日

ある朝、突然に。

映画らしい、映画。
といえば、私の中ではミュージカルなんだな。
ただ最近までは、ミュージカルはどちらかと言えば苦手なジャンルだった。
道を歩きながら突然主人公が歌い出したり
その光景を当然のように受け入れる通行人がいたり
明らかに悲しむべきシーンで、足もとはステップを踏んでいたり

「あり得ない」ことの連続。

その非日常的描き方が、映画らしい映画であるわけですが。

その私のミュージカルに対する苦手意識を
一気に変えた作品がある。

それが、「CHICAGO」。

愛人を殺したダンサー志望の女が、
あれよあれよと新聞を賑わすほどの人気者にのしあがっていく話。
(ごめんなさい。映画の説明って苦手だす)
女同士の嫉妬や、人生の転落、何だって利用する野心と、
人間のドロドロした部分を、歌と踊りであっけらかんと描く
その演出にノックアウトされた。

とにかく、楽しい。

大画面で観られるだけ観てやろうと、映画館に3回ほど通ったあげく、
DVDも買ってしまった。
ひとつひとつの場面が、なんとも華やかで
今でも観るたびにワクワクする。


そんなわけで、今、劇場で公開されている「プロデューサーズ」も
大いに期待をしていた。

…が、ん〜いまいちワクワクしないなぁ。
ストーリーは、かなりおもしろい。
売れない舞台をつくれば、儲ける!というからくりに気づいた
プロデューサーが計理士が組んで
くだらない脚本、ダメな演出家、どうしようもないキャストを
探し回って、さあ公演!ってな話。筋だけ追えば、すごい笑えるネタだ。
ま、ところどころに、笑いどころはある。
ゲイの演出家ファミリーの場面は、プッ、とか、クスッ、とか
映画館のところどころで笑いがおこっていた。
…が、ミュージカルとして、いまいち華が足りない。
話の中心にいるのが男(ゲイも含む)ばかりだから
その点はしょうがないのかもしれないが、
どことなく、「映画だから…」と上手にまとめた感がある。

これ、舞台で観たらおもしろいんだろうね。
posted by さとる at 02:00| 熊本 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月24日

ドン・チードル祭その2

結局は、自分は傍観者なんだ。

「ホテル ルワンダ」を観た後、痛感した。
1994年に起きたアフリカのルワンダで、
民族間の抗争から、100日で100万人(!!!)の犠牲者を出した
大虐殺を描いた実話。
家族を守るために、ひたすら奔走する一人の男が、
結果的に1200人の難民の命を救うことになる話がベースになっている。

映画のことを、どうこう言う資格は私にはない。
当時のことは、おぼろげながらニュースで見たと記憶している。
だけど、私にとってはそれだけのことだ。

劇中、報道カメラマンのホアキン・フェニックス(わからんかった!)が言っていた
「虐殺の映像を見ても、「怖いね」とディナーを続けている」
人、そのものが私だ。


映画の最後に流れていた音楽の歌詞が強烈に印象的。

「アメリカ合衆国のように、アフリカ合衆国にはなれない。」
 

見おわった後、なんとも言えない無力感を覚えた。


この映画については、自分の言葉で語れない。
posted by さとる at 00:42| 熊本 | Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月21日

人間だもの。

海外の(特にアメリカ)映画を観ていると、時々

宗教的倫理観、人種差別の根の深さ、徹底したクラス主義。

島国日本、単一民族国家で暮らす私たちにとって
理解できないことにぶち当たることがある。

いや、理解できるような気になるときもあるが、
それは上っ面のもんで、根っこの部分でどうしても
受け入れることはできない。

ジョークひとつをとってもそうだ。

言葉遊びの次元であれば、言葉が理解できないという
大きなハードルはあるものの、
なんとなくその「笑い」のニュアンスは伝わることもある。
だけど、それも言語上だけの理解にすぎない。


「クラッシュ」は、まさにそんなアメリカが抱える
社会的問題、人種、について描かれた映画だ。

衝撃。

としか言いようがない。
アメリカ社会が抱える問題を描きながら、
人間の本質の部分を、グサリと掘り下げた映画だと思う。
アメリカの実状、抱える問題の1%も理解できない私にとっても
非常に心動かされる。

なぜ、どこに、どうして

そこに、国、人種を超えた、人間がある。
一人の人間の中に混在する善悪、
ヒーローもヒールもいない本質の世界。

今年にはいってまだ5本くらいしか観てないけど、
いきなり素晴らしい作品に出会えた。
posted by さとる at 22:13| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月14日

恐竜と赤ちゃん。

昨日、ケーブルテレビで「ローズマリーの赤ちゃん」をやっていた。

初めてこの映画を観た時は、
「寝てる間に、サターンが私を犯しにくるかも。」
といらぬ心配で、その夜はなかなか眠りにつけなかったことを
記憶している。

いやぁ、若かったなぁ。私も。
なんせ、10代だったからなぁ。

昨日はたまたま、お風呂に入って、床を敷いて
「さ、寝るか…」と
テレビのチャンネルを何気なくまわした瞬間、
おかっぱ頭のキュートなミア・ファローが
引っ越すアパートの下見で、キャピキャピしているシーンが。


かわいい…。


と、しばらく彼女の姿に見とれていたら、
知らぬ間に、映画に引きこまれていた。

いやぁ、やっぱ恐いね。いつ見ても。
ただ、35歳、今年年女の私は、
映画が終わった瞬間、爆睡してましたけどね。


で、その「ローズマリーの赤ちゃん」で
一番、ぞぞぞぞぞぞ、となるシーン。

臨月のミア・ファローが、追ってくる夫と産婦人科の先生を振りきって
自分のアパートに逃げ込むシーン。
誰もいるはずのない部屋で、ミア・ファローが息をきらしているところに、
後ろをスーッと、横切る人たち。(彼女は気づかない)

こう、迫り来る恐怖っていうのもあるけど、
このシーンみたいに、いるはずのない人が普通に歩いてるってだけでも
胃袋を「ギューッ」とつかまれるような恐怖が込み上げてくる。

うまいなぁ。この演出。


…この演出、ごくごく最近、観た…

そう。
ちょうど前の日に、「ジュラシックパーク3」があってて
無人のはずの研究所に逃げ込んだ人間達の後ろを、
恐竜がスーッと横切る。

思わず「後ろっ、後ろっ」とテレビに向かって
叫んでしまった、あのシーン。


「ジュラシックパーク3」のあの演出は、
「ローズマリーの赤ちゃん」から頂戴したのか?


ん〜、やっぱりどうでもいいことか。
posted by さとる at 00:15| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月12日

おもひでの映画。

作品自体に思い入れのある映画っていうのもあるけど、
作品にまつわる自分の思い出から、どうしても心に留まる映画もある。

何まどろっこしい言い方してるんだろ。

つまり、
すげ〜感動した映画もあるけど、
映画を観たシチュエーションがすげ〜心に残った映画もある。

ってこと。

私にとって(私以外にはどうでもいい話だね)
後者の筆頭にあがるのが、


「クール・ランニング!」


灼熱の国、ジャマイカのボブスレー代表の実話。
作品自体は、なかなかエンターテインメント性あふれてて
おもしろかった記憶があるんだけど、
映画館で観た後、ビデオとかテレビで放映されるその作品を、
じっくりと鑑賞できない。

なぜかと言うと…


その当時つきあっていた彼と観た、映画だから。
それだけだったら、別にいいんだけど、

「最後のデートで観た映画だから」


映画はおもしろいんだけど、映画観て笑っちゃいるんだけど、
そのことが約2時間、ずっと頭から離れなくて
素直に映画を楽しめなかった。
ずっと、なんかイヤ〜な気分を引きずっていたもんだから。

だいたい、別れの日に観る映画、選べよ。
っつうか、別れの日に映画、観るなよ。

隣で、ゲラゲラ笑っている彼。(おいおい別れ話の後だろ…)
まさに、私らの席のまわりでは、悲喜こもごもワールド。
映画が終わったら、何の余韻もなく、それなら元気で…と。

しんみりした別れではなく、こうサッパリとすがすがしく
楽しい思い出として、この映画を選んだ彼なりの演出だったかも
しれんけどね。しれんけどね。

なんだか、さっぱりしないまま、さっぱり別れられたような、
複雑な余韻が残って、「クール・ランニング!」という作品が
いつまでも私の心に変な思い出として生きつづけるわけだ。


ま、どうでもいい話ですが。
posted by さとる at 13:03| 熊本 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月10日

ビバ!PAOH!

熊本の天草を本拠地とするパチンコ屋さんで、
PA-OHという店がある。
熊本市内では、清水の北バイパスの出口付近にあるから
知っている人も多いと思いますが。

そこのオーナーさんが、えらく映画好きらしく(ただ噂で聞いただけの根拠ですが)
独自で映画祭を企画運営したり、ラジオの映画番組を企画したり、
極めつけ(!)は、市街地の映画館、天草本渡市、小国の映画館が、
いつでも、誰でも1000円!で見られるカードを発行したり。

(↓ここで詳細見て)

http://www.fmk.fm/pa-oh/info/card.php

熊本の映画を盛りあげるために、一役かっている。

だって、膨大な制作費をかけてつくっているからしょうがないとはいえ、
小市民に一回1800円の映画代はちと痛い。
「毎日がレディースデー(水曜は女性1000円!)だったらいいのに」
と思っていたところに、このPA-OHカードの出現。


考えるに(私の想像ですが)
市内にポコポコ登場している「シネコン」の驚異から
映画館を守るための、言い方は悪いかもしれないが、
救済処置なのではないか、と。

そんな中、相次ぐ市街地映画館閉館のニュース。
今、話題の東横インが建っていた「東宝プラザ」閉館から
(ここは、小学生の時はじめて映画に行った思い出の場所)
2年も経たないうちに、市街地にはDenkikan、シネパラ、桃天劇場の
3館を残して全て閉館。
多少の影響はあるだろうと思っていたが、
こんな状況になるなんて想像してなかっただけに哀しいもんだ。

この状況の中、PA-OHが次はどんなことを仕掛けてくれるのか。(他力本願)
密かに楽しみにしているんだけど。
posted by さとる at 11:39| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月08日

風の音。

あたいが住む熊本でも、シネコンが最近の「映画鑑賞」の場として主流になっている。今週末には、浜線バイパスに新しいシネコンがオープンするし。市内だけでも4つのシネコンが郊外にデーンッと構えている。駐車場は無料だし、施設はきれいだし、広いし、ショッピングモールと併設してるところが多いから、お買物ついでに映画でも…ってことになるんだろう。
その一方で、市街地の映画館は閉館するところが続出。この2ヶ月で、松竹、東宝プラザ、そして突然でびっくらこいたけど、シネラックスも閉館。

…ということは、Denkikanとシネパラだけ?

寂しいもんだ。

市街地の映画館は、「PA-OH」カードを提示すりゃ、毎日1000円で見られるわけだし、あのこじんまりした映画館らしい空間が好きだったのに。


この問題は、小市民が一人いくらあがいたって、どうにもならんかもしれんけど、
CiNe3。の活動として、何かできないものだろうか。
つくづく、考えさせられる。


昨日、阿蘇を舞台とした映画「風のダドゥ」のプレス試写におじゃました。
撮影からずいぶん話題になっていた作品だったから、
完成を結構楽しみにしてたんで、それをいち早く試写で拝見できるなんて。

光栄っす。

ダドゥ、聞き慣れない言葉。
これは、馬の腸が動く音のこと、「ダ動」(漢字どうかくのかわからん)から
きているそう。
傷ついた少女が「ホースセラピー」によって元気になるってお話。
ちょっと乱暴な概要だけどね。

1時間37分という上映時間が異様に長く感じたし、
カット割りというか、画面の構成がバラバラで疲れた。
話も、なんかいい子ちゃんの映画。

でも、でも、でも!

新緑の季節の阿蘇!最高に美しい!

この風景だけでも(ごめんなさい)、十分見る価値のある作品だと思った。

5月13日から、熊本シネプレックス(あ、シネコン…)で公開。
6月からは全国公開らしいっす。

熊本県民として、見ておきたい作品だす。
posted by さとる at 14:59| 熊本 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月31日

いよっ!王様っ!

極端な考えかもしれんけど、
常々、人を見るときに、2種類に分類してしまうクセがある。
本当は複雑で、一人として同じモノをもっているわけじゃないって
わかってはいるけど、そういった複雑なモノを見てしまうと
頭ん中がいっぱいいっぱいになってしまうんで。
分類っていうと聞こえが悪いけど、物事を単純化することって
処世術にすごく必要なことだってことが、30ン年間生きてきて
すごく実感としてあるもんだからね。

例えば、

自分の話を上手に出来る人と、自分の話をしない人。
縦割りでモノを見る人と、横割りでモノを見る人。
やさしさを表に出せる人と、出せない人。

とかね。


ま、それはどうでもいい話かもしれんけど、
この前の日曜、ずっと行きたくて、ずっと躊躇していた映画を
やっと見に行ってきた。

「キング・コング」だす。

ストーリーは、もういいでしょ。知ってる人も多いことですし。
ジッと座ってるギリギリの上映時間(3時間!)だったけど、
全然長いと感じなかったし、CGってわかっちゃいるけど
恐竜の迫り来る迫力に、手に汗握ったし。
それぞれのキャラクターも、見事にハマってて、なかなかおもしろかった。
まあ、つっこみどころも満載ですがね。

で、私が特に気になったのは
女優、ナオミ・ワッツ。
「マルホランド ドライブ」の、あの陰と陽を演じわけた彼女に
ノックアウトされて以来、気になる存在だった。
いやぁ、彼女はいいよ。
ちょっとポカンとあいたしまりのない口元で
感情の動きを表現するところとか、もうゾクゾクしちゃうね。
今回、キングコング相手だったからセリフが少なくって
このポカンッが至る所で見られて、幸せぇ。


女優って、あえて2種類に分類すると、

同性にモテる人と、異性にモテる人。

にわけられると思う。(コレ、私の勝手な分類ね)
んでもって、ナオミ・ワッツを分類してみると、前者だと思う。(コレも、私の勝手な分類)
何かが足りなくて、それが何かわからなくて、だけどパーフェクトまであと一歩! という美女っぷりが、同性の心をグッとつかむんだろうなぁ。

って、全て根拠も何もない、私の超個人的見解です。
posted by さとる at 01:32| 熊本 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月29日

HINAMI

1月28日、つまり昨日。
熊本市民会館で、「HINAMI」の上映会。

市民会館で映画上映? しかも一日2回上映? つまり3600のキャパシティ?
上映会が決まった時に、スタッフとして映画を「売る」側からいったら
不安材料てんこもり。

スカスカだったらどうしよう。
お客さんが怒って帰ったらどうしよう。
あんなデカイ会場だったら、画面が見にくいんじゃ…。

と、いろいろ考えておりましたが、何てことない。
2回で約2500人の来場。ほぼ満席状態で上映。
自主制作映画で、これだけ動員したってことは、イベントとして「成功」と
言ってもいいかも。
これも、実行委員会の皆さんのご尽力のたまもの。
私は、幽霊部員みたいなもんだったけど、ここでスタッフの皆さんに
拍手を贈りたい! 素晴らしいっ!

映画の方は、午前中スタッフ試写があり、そこではじめて完成形を見た。
脚本づくりから撮影までみっちり関わってきたから、内容はわかっていた。
けど、私にとっては「関わった映画」としてしか残らなかった。かな。
映画自体に、何かを揺り動かされたり、意表をつくような発見があったり、
心にひっかかりを残したりは、正直なかったと思う。
映画の場面場面で、
「ここのロケでは、こうだったなぁ」
「あ、○○ちゃんがちょっと顔見えてる」
「私の後ろ姿だ!」
とか、日々走り回っていた日々を懐かしむことが多かった。
映画制作に関わる人って、こういうものなのかしら。ね。

観た人、それぞれに思うところはあるだろうな、と。
私の知人は、映画の途中で「つまらんっ、古い!」と言葉を残して
帰っていったし。
最後に涙目で「私だったら、と考えさせられました」と会場を出てきた
女の子もいた。
ま、それでいいと言ってしまえばそれでいい。
みんな同じ方向を向いているわけでなく、感じ方もいろいろあるわけだし、
考え方を共有することなんて、不可能。
100人いれば100人の。2500人いれば2500人の「HINAMI」があるだろうし。

posted by さとる at 20:29| 熊本 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月23日

日常か、非日常か。

なんで、映画好きなの? なんで、映画を観るの?

そんな質問を投げかけられたら、ものすごく答えに困るわなぁ。
でも、ひとつはっきり言えることは

「日常のなかにある、非日常だから」

冒険もの、ヒューマン、ラブドラマ、ファンタジー、宇宙モノ、戦争もの、
コメディ、アニメーション…。
ある意味、日常に起こりうる作品も中にはたくさんある。
だけどそれは、スクリーンに映った瞬間から、
自分が観客席に座った瞬間から、非日常の世界に変わってしまう。
それを、日常から抜け出した自分が観る。
ってとこに、映画の魅力が集約されているんじゃないかと、
私は思う。

熊本で今週末ある映画の上映会が行われる。
そのタイトルは、「HINAMI」。
このHINAMIという言葉は、古語で「日常」という意味を表す。
熊本を映画のまちにしよう。というコンセプトのもと、
集まった映画づくりの素人たちと、映像のプロが、
流行の(もうすでに古いけど)言葉でいえば「コラボレーション」した作品。
私も、Cine3.の一員としてこの映画制作に携わってきた。

去年の4月からプロジェクトが立ち上がり、
脚本のアイデア出しから、脚本づくり、キャストのオーディション、制作準備と、
8月のクランクインまでわずか4ヶ月で映画の“素”をつくる現場に
携わってきた。

本来、自分にとって映画づくりという「非日常」だった世界を、
「日常」として経験したわけだけど、
だからこそ、映画という存在が「非日常」であることを強く認識するようになった。

物語は、8人の主人公の「死」。死ぬ5分前に、誰に、何を、どうやって伝えるか。
そこから浮き彫りにされる、死の姿を観客とともに「共有」する映画。
たぶん、観た人によってそれぞれ印象が変わる映画だと思う。

1月28日土曜、熊本市民会館で、昼3時半と夜7時の2回上映。

シネモヤンも会場で配布する予定(限定1000枚!)なんで、
ぜひ。
posted by さとる at 11:34| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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