2008年05月07日

ドラマは、ドラマ。

3日からはじまったGWっちゅうもんは、
途中一日仕事になってしまったもののほぼ休めた。
そのうちの一日は、柳川に日帰り旅行したり、
結構充実してたような。

で、最終日の6日は「何か一本映画を観る」と
前日から心に決めて、朝いちばんに歩いて行けるシネプレックス熊本へ。

「クレヨンしんちゃん」や堂本の「スシ王子」など
ファミリー向け、若いもん向けの映画を横目に
前々から気になっていた「相棒」をチョイス。

なんかベタな刑事ものながらも、
水谷豊の絶妙なキャラがツボだったんで、
普段はドラマを観ないけれど最近再放送でチェックしてたんだよねぇ。
あ、映画があるから再放送が多かったんだ。ふーん。

ぶっちゃけ、ドラマが映画になるっていうのは、
そのドラマの完成度が高ければ高いほど、がっかりしてしまうことが多い。
木更津キャッツアイなんてその最たるもので、
1時間という短い時間の中でテンポ良く凝縮されているからこそ
「お〜もろ〜」なのに2時間に無理矢理ひっぱって内容をてんこ盛りにすることで
そのドラマがもっていた魅力が半減しちゃうんだよなぁ。
大好きな「踊る大捜査線」もそうだったし。

でも、「相棒」自体(もう8年くらい続いているんでしょ?)
ドラマを観たのは最近だし、そのドラマだって2時間スペシャルのやつだったし
そんなドラマと映画のギャップを感じることも少なかろう。


……

やっぱり、ドラマだった。


確かに水谷豊のキャラは相変わらずおもしろかったし、
途中何度も「ぷっ」と笑えるところはある。
ストーリーも絶妙に練られていたものの、映画としてはどうなんだろう。
ああいった類のものは、お菓子でも食べながら、
テレビにつっこみをいれつつ、誰かとくっちゃべりながら観るのが
やっぱり楽しいんだなぁ。
確かに、映像は迫力あるけれどね。


フジ系の「SP」も、ドラマで引っ張るだけ引っ張って、
映画にもつれこむってことやってたけど、
正直、これもどうなんだろう。
ま、あのまま終わるのは気分が悪いので
劇場に足を運ぶのは、運びますけどね。


posted by さとる at 07:17| 熊本 | Comment(29) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月24日

想像力と記憶が、世の中とつないでいた。

本当に、本当に、久しぶりにアップします。さとるです。
この数ヶ月、映画館とは無縁な生活をしておりまして、
さらに来週からはわが家に「地デジ」なるものが導入されるわけで
ますます映画館離れになることが、自分でも怖いです。

今あるテレビは、昔バイトしていた会社の上司が、
ゴルフの「ブービー賞」でもらった賞品で、タダでもらった上に、
ちゃっかり家電の寿命といわれる10年も立派におつとめを果たしてくれたので、
液晶テレビをこの際贅沢しても罰はあたらないだろうってことで。
奮発して、sharpのアクオスを買っちまいました。あー、ビンボー万歳。


ま、そんな自分の生活事情なんてどうでもいい話は置いておいて、
ひっさしぶりに「映画館で観たい映画」に出会えたので行ってきました。


「潜水服は蝶の夢を見る」


前情報は、ポスターのみ。最近は、映画の情報誌ともとんと離れてしまったもんで、友達と話していても、浦島太郎状態です。
「ELLE編集長」「実話」「20万回の瞬きで本を書き上げた」という、断片的な情報だけでも、何かこう、グッとくるものを感じていて、公開されたその週にいそいそと行ってきました。

映画は、主人公のジャンが病室で目覚めるところからはじまります。
自分に降りかかった出来事を理解できず、ただ呆然と周りの状況をうかがう彼の心情が、目覚めた彼の“目線”で描かれています。
ロックト・インシンドローム。
意識ははっきりとしているのに、体の自由が全くきかない。自分の意志の通りに動いてくれるのは、左目の瞼のみ。この症状を例えたのが「潜水服」というワード。

周囲の投げかける言葉は全て理解できる。その言葉によって、感情が昂ぶったり、何かを伝えたい思いは湧き出でてくる。手をさしのべ、そこに居る愛しいものに触れたい思いが募る。…だけど、体だけはその意志に全く反応しようとしない。
想像するだけで、なんて、もどかしいんだろう。

そんなジャンに、言語療法士アンリエット(この人がむっちゃ美人!!)が左目の瞬きだけで会話する方法を編み出してくれる。使用頻度の高いアルファベットを読み上げ、伝えたいワードを瞬きで合図する。一字一字、その作業が繰り返される。その方法によって、ジャンは自伝を書くことになる。「20万回の瞬き」で。


だいたい、天の邪鬼な私は、こういった「難病もの」「再生もの」といった、“どん底からはい上がって、幸せを手に入れた”という話は苦手。
ただ、この映画の素晴らしいところは、それが実話であるということ。そして、その自伝を書くまでの主人公の気持ちの動き、家族や友人、仕事仲間、恋人との関係が、妙に人間くさいところ。ドラマチックな仕立てではなく、実際にこの苦悩を乗り越えて、世界中で読まれることになる自伝を書いた本人を、ヒーロー的に祭り上げるわけでもなく、感情の動き、人との関係を、忠実に再現しようと試みている姿勢が手に取るように感じられるのだ。それは、製作スタッフ(特に監督や役者たち)が、ELLE編集長として地位も名声も手に入れたある男の、人生そのもの、日常というものをリスペクトしているからに違いない。ひとつのドラマの「ネタ」としてではなく。

映画の中で、ジャンが印象的な言葉を投げかける。
動かない体に閉じこめられた意識には、「自由な想像力と記憶がある。」


何一つ不自由のない生活を送り、些細なことで落ちこんだりはしゃいだり、誰かの文句を言ってみたり、こうやって自分の言いたいことを誰かに伝える。
なんでもない日常に、もっと感謝しなくちゃ。


posted by さとる at 19:55| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月05日

連鎖か、螺旋か。

天の邪鬼なもんで、「いま、流行ってます!」とか「これが、熱い!」とか、
そういううたい文句が入った瞬間に引いちゃう。
ちょうどこの映画が上映されていた頃は、沢尻エリカブームまっただ中。
目の端では気にしてはいても、どうしても真っ向から立ち向かう勇気はなく、
上映期間中に行きたいなぁ、と思いつつも
「いや、流行もんに乗っちゃいかん」と変な意地が邪魔してスルーしてた。

あああああーーーー、映画館で観たかった!
妙なこだわりはやめよう、と心に誓った作品。

『手紙』

もう、ほぼ最初っから最後まで泣きっぱなし。
エンドロールでは、真夜中にもかかわらず(午前3時半)声を出して号泣。
かなり胸に響く作品だった。

加害者家族の世の中から受ける「差別」というものがテーマ。
早くに両親を亡くして、ふたりで肩を寄せ合うようにして生きてきた兄弟。
兄は、弟に大学進学の夢を叶えさせてあげたい一心で身を粉にして働いている。
一方弟は、その兄の期待に応えたい一心で受験勉強に励んでいる。
そのうち、兄は腰を痛めて仕事ができなくなり、
弟の進学のために「空き巣強盗」を企てるが、
その最中に住人が帰ってきて、結果的に「強盗殺人」の罪を負うことになる。
社会から「加害者の家族」というレッテルを貼られ、
大学進学をあきらめ、就職する先々、転居する先々で受ける「差別」から
逃れるように暮らすようになった弟。
お笑い芸人になる夢をめざして踏み出そうとするが…。

というストーリー。
塀の中の兄と、「差別」から逃れるように社会で暮らす弟。
そのふたりをつないでいるのが、手紙だ。
「差別」について語るのは、本当に難しいと思う。
する側、される側の境界線は極めてあいまいだと思うし、
それが悪か善かとわけることも、私にはできない。
よく「差別のない社会をめざそう」とかいわれるけれど、
そんな社会の実現は不可能なことだ。
ある意味、「差別」は自己防衛本能から生まれるものだと思うし、
多少なりとも利害関係が働く社会で生きている以上
どんな形であれ「差別」はあるものだ。

この作品の中で、特に印象に残っているのが、
弟が働く家電量販店(K's電機だった)の会長が弟に言った言葉。

「差別は、ある」

加害者家族であることが会社に知られ、営業から工場へ移動を命じられた弟を
たぶん激励するための言葉だと思う。
「差別は、ある」そう認めてからこそ、新しい一歩を踏み出せるか、
目を背けて逃げたままでいいのか、考えられるもの。
映画では、その会長は片足を引きずりながら歩いていた。
きっと、彼も「差別」を受け、それを受け止め、認めてきたからこそ、
言えた言葉なんじゃないか、と思った。
言葉だけを抽出してみると、打ちひしがれている人に対して
ひどく冷たいような印象をもつかもしれないけれど。


いろんなことを考えさせられた映画だった。
監督は、金八先生の演出をしていた人。どうりで泣かせる演出がうまいはずだ。
兄役は玉山鉄二、弟は山田孝之。
ふたりの体をはった演技には驚かされた。
特に、玉山鉄二。
『逆境ナイン』と同一人物とは(失礼!)思えないほど、
静かで、激しく、とても切ない兄の心情を見事に演じきっていた。
今までほとんど眼中になかった彼だけど、今後「注目の役者」リストに入れたい。

たぶん、ここ数ヶ月、何回か繰り返して観ると思う。
東野圭吾の原作も、読まないと。
posted by さとる at 19:27| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビデオ・DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月30日

どもれども、どもれども

正直、しゃべるのは苦手です。
が、ここだけの話、人前で「講談」っちゅうやつをやったことがあります。
なんでそんな無謀なことをしたのか、今でも不思議なくらい。
約10名弱の観客を前に、神田紅葉(だったと思うが)の持ちネタ
「宇宙戦艦ヤマト」(だったと思うが)を演じた。
たった10分足らずの時間のために、何日も、何週間も練習して。
人前で、自分のしゃべりを披露して、それで聞いて貰うということが、
いかに難しいことか。さらに、笑わせるなんて…。
ものすごくいい経験をさせてもらったと、今では思っていますがね。


「しゃべれども しゃべれども」


いやぁ、ホント、楽しませていただきやした。
映画が公開される前は、「国分太一がすごいいいらしい」という噂が
ちらほら聞こえてきていましたがね。
噂っつうか、マジですごい良かったっす!!!!太一くん。

(↓ここから、枕風に)
「しゃべる」ことを稼業としている落語家(二つ目)と、
「しゃべる」ことにコンプレックスをもっているおっちゃんとお姉ちゃんと小学生。
何のご縁かわかりませんが、しゃべり方教室ならぬ、落語教室なんぞ開きましてね。
それで、その4人の交流を描いてるわけですが、
っこれまた、生徒である3人が一筋縄じゃいかない輩ばかりでして。
特にね、何に怒ってるかまったく理解不能のお姉ちゃん。
これを香里奈が演じてるわけですが、
わけのわからん性格おブスちゃんって役どころなのにさ、
あまりにキレイなもんだから、そういう風に見るのがつらくってねぇ。
ま、そんなアラとか挙げちゃぁ、キリがないけれど、
なかなか楽しませてくれるんだなぁ、これが。



ま、これをずっと続けると疲れるので、戻りますが。
とにかく、全体的にみたら、ちょいとムリのあるラブストーリーなんですが、
それはそれでよし。
落語のシーンが、いいんっすよ。それぞれの。
落語教室に通う小学生の男の子が、もうあっぱれだね。
自分で書いてて、なんかわけがわからなくなってきましたが、

「で、どうなの? この映画?」

と聞かれたら、即答で

「楽しい!」

と答えられる映画です。ホント。
下町風情もすごく良く描かれているし、
人間のおもしろみっつうか、哀しさっつうか、愛すべきところが
てんこもりです。

個人的には、伊東四朗の「火焔太鼓」が好きでしたね。

posted by さとる at 01:00| 熊本 ☁| Comment(0) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月11日

アイドル進化論。

わたしの勝手な論理なのだが、
最近のアイドルは実に「器用」で、
とても「身近」に感じるのに「遠い存在」。
かっこよくて、歌がうまくて、キャーキャー言われる
ちょい昔のアイドルとは、明らかに「質」が変わってきていると感じる。
いや、「質」がいい悪いの問題ではなく、
立ち位置だとか、求められる価値観が変わってきている。
その大きな功績は、他でもないSMAPだと思う。
高校(あれ、中学かな?)の頃、
深夜番組の「夢がモリモリ」で彼ら(当時は6人だった)が
登場したときは、正直びっくりした。

アイドルなのに、バラエティ??

当時、ティーンエージャーだった彼らが、実に一生懸命に「コント」に
チャレンジする姿から目が離せなかった。
今もそのスタイルを踏襲しつつも、ドラマや映画、バラエティの
第一線で活躍し続けているのは、ほとんど「驚異」だと思う。

別にわたしがSMAPの熱烈な信仰者というわけでもないのに、
なぜか彼らが出ている番組はついつい見てしまう。
それを、楽しんでしまう。


それに、TOKIO、V6、嵐と続く。
昔は、かっこよくて、歌がうまい(うまくないアイドルもいたが)お兄さんでよかったのが、おもしろくて、人を楽しませることも要求される。
ある意味、アイドルは過酷な稼業なんじゃないかと。



「黄色い涙」

嵐びいきの小倉さんが、「いやぁ、おもしろかったよ」とコメントしてたので、
ついつい見に行ってしまいました。
昭和40年頃の東京で、漫画家、小説家、画家、歌手をめざす若者が主人公。
もちろん、嵐の面々が演じている。
ひょんなことから出会った4人が、
なぜかひとつ屋根の下でいっしょに暮らすことになる。
しかも、夏の数ヶ月の間。
それぞれの夢にむかって頑なに歩きつつも、
金が少しでも転がってくれば贅沢な暮らしに浸ってしまう意思の弱さをもっていたり、その時代の若者像を演じている。

一昔前のアイドル映画とは、一線を画した時代設定だなぁ。
しかも、彼らがいわゆる「かっこわるい」というか「普通の若者」を、
栄光と成功とは縁のない世界にいる人を演じているところも、
昔からは考えられない。

…わけだが、アイドルという刷り込みから、その生活の悲惨さがあまり実感として湧いてこないのが正直なところ。
ま、それでもいいんです。
ハリウッド映画にも出演した経験をもつ二宮くんが物語の軸になっているのだが、
やはり彼はいい味出しているし、意外とリーダーの大野くんがおもしろい。
ちょっと不思議だったのが、今をときめく松潤の出演時間がやたら短いこと。

映画としては、「ここで終わってほしかった」というタイミングを無視して、
延々と無駄なところまで語られるところがちょいと耐えられなかった。

結局、映画の最後のシーンを見ずに帰ってしまった。
別につまらない映画でもないし、よくつくられた映画だとも思う。
何で帰ってしまったんだろう、と後から思ったけれど、
あれ以上見せられるのはちょっとつらかった。
映画館で途中で帰ったのは、これで2回目。
1度目は最初から怒りを覚えるような映画だったので仕方ないけれど、ね。

銭湯のシーンで嵐の5人が裸で語り合う時に、
なぜか桜井くんだけがお尻を披露していた。
余談ですが。

posted by さとる at 12:23| 熊本 | Comment(10) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

脆くて、高い、塔。

とある日本国内の空港の免税店で、
レジのお姉さんに韓国語で話しかけられたことがある。
自分が生まれ育った国で、同じ言葉を話す人から、
異国の言葉で話しかけられる。
しかも、何を聞かれているかも理解できない。
本来ならば、彼女とは何の障害もなく意思疎通ができるはずなのに
彼女の「この人は韓国のお客様」という思いこみから、
コミュニケーションの壁にぶち当たってしまった。
当たり前のことが、当たり前でなくなる。
言葉がいかに不自由なものか、たった数秒の出来事で思い知らされたし、
コミュニケーションのすべてを言葉に頼っている自分にも気づかされた。


人間 対 人間、ハート 対 ハート、愛 対 愛の
コミュニケーションには言葉はさほど重要ではないと、
よく言われているし、その通りだとも思いたい。
だけど、言葉に依存しながら生活する毎日からでは
いまいち実感が湧かないのも正直なところ。



「バベル」

話題作がついにやってきた。
菊池凛子(昔の芸名は菊池百合子だと)がアカデミー賞の助演女優賞に
ノミネートしたことから、この映画を待ち望んでいた人も多いことだろう。
私もそのうちの一人。封切り後、すぐにでも観たい作品だった。

舞台は全く接点のない(ように思われる)3つの都市。
モロッコ、アメリカ(メキシコ)、日本。
哀しい出来事が原因で壊れかけた夫婦の絆を取り戻すため、
アメリカからモロッコへやってきた夫婦。
その夫婦の留守中、子どもをみているメキシコ人ベビーシッター。
母を亡くした聾唖の少女と、その父親。
バラバラの都市で、バラバラの人間たち、そしてバラバラになった心が、
モロッコの雄大な自然の中に轟いた一発の銃弾によってつながれる。

激しい音と水の中にいるような静寂、
人工的な光のシャワーと穏やかな自然の表情、
陽気に踊る人々とその後に訪れる孤独。
二面性というか、二極性を随所に配した演出は、
人間の心の様を表現しているのではないだろうか。

この映画では、4言語が画面の中を飛び交う。
英語、アラブ語、スペイン語、日本語、すべてのセリフに字幕がついている。
字幕をなぞって映画を観ていると、おそらくこの映画の「本質」を見逃してしまうのではないかと、映画の途中で気づいた。
言葉が通じない、すなわち想いが通じない、そんなコミュニケーションの危機的状況を、字幕を通してすべて理解しようなんてできることではない。
途中、字幕をできるだけ見ないようにがんばってみた。

数秒ともたない…。
手話で会話している日本のパートでさえも。

たぶん、この映画は、テーマである「コミュニケーションの難しさ」を、観客に問題を投げかけている作品ではないと思う。
観客自らが問題を投げかけることを期待しているのではないかと。


皮肉なシーンもいくつもある。
言葉が通じるはずのモロッコのバスツアーの同乗者とは意思の疎通ができないのに、モロッコの小さな村のおばあちゃんとは言葉を介さずに想いを受け入れあえる。
メキシコに訪れたアメリカ人の子どもたちは、ただ走り回ることで仲間に入ることができる。

破ることが難しい障害と思っていたことが、
実はやすやすとクリアできるものかもしれない。
隔たりのない関係性こそ、危険を孕んでいるものかもしれない。


監督はこの映画について
「人を隔てる壁についての映画を撮りはじめたのに、人と人を結びつけるものについての映画に変わった。つまり、愛と痛みについての映画だ」
と語っている。
posted by さとる at 01:07| 熊本 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月12日

見えない絆。

ちょいと前にオープンした六本木の「東京ミッドタウン」。
えらい騒ぎでしたねぇ。初日の来客者17万人だって?
もうすでに、その数字を見ただけでも人酔いしそうな勢いです。ほんと。
中でも騒がれてたのが、そのサービスというかおもてなし。
なんかホテルのコンシェルジュみたいな方々がいて(その数がハンパなく多いらしいけど)、「近くの花屋はどこか?」と聞けば、ご親切にビルの外の店であっても近くまで一緒に案内してくれるんだと。
痒いところに手が届くサービス以上に、痒いところを掻いてくれるサービス。
ま、ご近所の六本木ヒルズとの差別化としてやってんだろうけど、
この過剰なまでのサービスはどうかと思うわけですよ。
うまく言えないけれど、サービスのためのサービス、のような印象を強く受けてしまう。
このような過剰なサービスを見せつけられれば見せつけられるほど、
人と人との関係性が希薄な世の中を浮き彫りにしているように思えてしょうがない。
考えすぎなんでしょうかね。

ま、それはいいとして。




今回、1ヶ月ぶりに見る映画として選んだのは、


「善き人のためのソナタ」


最近、映画雑誌とか、そういう類のものを読まなくなったので
どんな映画なのかまったく白紙の状態。
強いて言えば、
○東ドイツ(ベルリンの壁崩壊前)の話
○アカデミー賞の外国語映画を受賞
それくらい。
映画好きなおばがしきりに、
「さとるちゃーん、ぜったい見なきゃだめよ」
と勧めるもんだから、レディースデーの今日、夕方から時間ができたので急遽見に行くことに。

いやぁ、おばちゃん、ありがとう。
素晴らしい映画です。

映画の善し悪し(というか好き嫌い、になるのかな? 思い切り主観なんで)は、ラストで決まる、と思っている。どんなに退屈な1時間59分があっても、最後の1分でふんぞり返るくらいの笑いがあったり、震えがくるくらいの感動があれば、それで良し! なんだよなぁ。
逆に、どんなにおもしろい1時間59分があっても、最後の1分が「なんじゃそりゃ!」と怒りにふるえるシーンだったり、嫌な後味を残せば、すべてダメ! とさえ思ってしまう。
もちろん、2時間全速でノリノリッであればそれにこしたことはない。でも、疲れちゃうけどね。

舞台は、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツ。
反体制分子を監視する史上最大の秘密組織と言われるシュタージが、
東西統一後、はじめて映画で描かれている。という。
劇作家ドライマンと、その恋人である舞台女優クリスタが
反体制である証拠をつかむために盗聴を命じられたヴィースラー。
彼らの日常の言葉を聞き、行動を監視しているうちに、
ヴィースラーの心境に変化が…。

…というあらすじ。

ヴィースラーの心が徐々に動いていく課程や、
彼がとる行動の変化。
その、なんとも微妙な、ほんとに微妙な機微を、
ウルリッヒ・ミューエという男優が見事に演じきっている。
それだけでも、一見の価値あり!
そして、私が最も心を動かされたのは、
盗聴される側と、盗聴する側。
決して顔を合わせて交わることもない、言葉を交わすことのない
この関係性の中に、ものすごいドラマをつくりだしている脚本。
触れ合わないところに見る、人と人との深い係わり合いが、
胸にズーンッと重く響く。
そして、物語のすべてが、ラストのワンシーンに向けて
静かに積み重ねられる巧みな演出。
若干33歳という監督の手腕に脱帽してしまう。
それも、約4年という長い年月をかけたリサーチの結果なんだと思う。

次から次へと、大量生産される映画産業。
その中で、他を寄せ付けないほどの輝きを放つ作品は、
やはり、「伝えたい」という熱意がつくるものだと確信した。
その「伝えたい」ものが、結果的に「エンターテインメント」になるわけだ。


posted by さとる at 00:07| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月01日

夢女。

いやぁ、久々にわくわくした。
映画館のシートで足踏みしてしまった。
見おわった後も、しばらく高揚感。

「ドリームガールズ」

基本的に、ミュージカルは苦手分野。
セリフの途中であり得ないタイミングで歌い出す、
あのなんともむず痒い瞬間がどうもね。

でもね。数年前に上映された「CHICAGO」以来
その苦手意識がどんどん薄れているような気がする。
もう、「CHICAGO」との出会いはある意味ショッキングな出来事だった。
現実と空想の心地よい感覚、というか何というか。
ほっと落ち着く間も与えないほどのテンポとか、
見ている間、心が弾む、弾む。
「ミュージカル」ってだけでまったく期待してなかったもんだから、
不意打ちされましたよ。完璧に。
あんなに楽しい2時間はなかった。
そんなもんだから、あの感覚を味わいたいがために
結局映画館に3回も通ってしまった。
クソがつくくらい(あら、ごめんあそばせ)
忙しい時期であったのにかかわらず、
時間を見つけては(というか、ムリにつくっては)
「CHICAGO」を見に映画館に足を運んでいた。


それから何本か、それらしいミュージカルはあったけれど、
「CHICAGO」ほどの胸の高まりはなかった。
何だろうね。何が違うんだろうね。

そんなこんなで「ドリームガールズ」!!!

ブラボーーーーーーー!!!!!!
久々に味わえましたよ。
周りを気にせず、歌を口ずさんだり、
思わず拍手しちゃったり。
ま、周りはいい迷惑だったとは思いますがね。
そんなのはどうだっていいんっす。

ストーリーは、サクセスと友情と愛情と別れと出会いと復活と…
いろいろごっちゃまぜて、GO!
みたいな感じ。わかった?
ま、それはもうどうだっていいんっす。

とにかく、アカデミー賞の助演女優を獲ったジェニファー・ハドソン。
彼女のパワフルな歌いっぷり素晴らしい。
最初のオーディション会場で彼女がはじめて歌った瞬間、
ぞぞおぞぞぞおっと、鳥肌が全身を走った。
しかも、60年代のR&Bサウンドがまたかっこいい。

そして意外と(失礼っ!)エディ・マーフィーがええっ!
歌も踊りもできるのには驚きだけど、
笑いと涙を誘う哀愁たっぷりの男っぷりがええっ!
笑いだけじゃなかったのね、エディ。


なんか自分の思うところを吹き出してしまって、
何を書いてんだかわからんくなってきたけど、
どうだっていいでしょ。そんなこと。


ああああああああ、
おもしろかった。
あと1回は見たい。
posted by さとる at 21:15| 熊本 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月12日

セレブの生活。

高校の時、世界史が大嫌いだった。っていうか、今も苦手。
もともと記憶という能力が極端に欠如している上に、
カタカナだらけの地名や名前。
教科書開くだけでもうんざりしてた。
世界史の先生が25歳の小柄な男性。あだ名は「ほにょにょ」。
ある一部のコアな学生から絶大なる人気を得ていた色白男。
言動は格好つけてんだけど、彼にはある妙なクセがあった。


授業中に、何度も生徒の目を盗んで何度も
股間(キャッ)を「ほにょにょ」とさわるクセ。

彼は生徒たちが気づいていないと思いこみ、
教科書を開いては「ほにょにょ」、
生徒に質問を投げかけては「ほにょにょ」。
世界史の時間は、彼の「ほにょにょ」回数をノートに
「正」の字を書いて数えるのが
私と友達の密かなブームだった。
確か、最高記録は26回だったと思う。(そんなところは記憶力がいい)


今回観た映画は
コッポラ(娘)監督の「マリー・アントワネット」。
世界史で必ず出てくるお名前。
世界史嫌いの私でさえも、知っているお方の物語。

CMで流れるテンポの良い曲、色とりどりの王室ファッション、
ビビッドなスイーツの数々。
しかも、史上初ヴェルサイユ宮殿でのロケ!!!!
その映画美術だけでも観る価値アリ!と判断した私は、
迷わず映画館へ向かった。

歴史的背景のことは、一切無視して。

ま、彼女が贅沢三昧してたおかげで市民革命が起こって
それで処刑されたくらいは知ってますよ。一応。


映画は、マリーの日常生活(といっても一般ピープルには非日常)を
淡々と描いていた。淡々とした中に、あのきらびやかな衣装、小物、食べ物が
色を添えている。
どうも、モダンな映像技術とロックな音楽で、
王室に暮らすティーンエイジャーの暮らしを「等身大」に見せたかったそうな。

ま、歴史上の人物を身近に感じられるような演出はいいかな、と。
でも、なんかこう、等身大といえども、彼女の気持ちの変化というか、
葛藤とか、いらだちとか、そんなものが一切伝わってこないもんだから、
等身大で「生身の」ティーンエイジャーと感じられなかったんだよなぁ。
残念ながら。

ただただ美しくて、おしゃれで、スタイリッシュで、モダンで、
その上っ面だけ、見た目だけに力を注ぎすぎたんじゃない?

確かに、画面に出てくる小物、洋服、靴、すべてかわいい!
映像の色合わせが絶妙で、女心をくすぐる。

CMだけで充分だったかな、と思ったひととき。
posted by さとる at 15:20| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月06日

ドラマは、いらない。

裁判ものって、アメリカのお家芸。

だって、陪審員制でしょ。
一般から無作為に選ばれた人たちが、
被告の有罪か無罪かを決めるわけでしょ。
そりゃ、ドラマチックな展開がいくらでも予想される。

映画を観ていると、弁護人は裁判官ではなく、
陪審員を説得、というか納得させるために
(ほとんど)劇場的に熱弁をふるうわけですよ。
素人さんをいかに感動させて、共感をよんで、いかに説得するか。
その一点に集中する。
陪審員制度になじみもない日本国熊本の片田舎に住まう私にとって、
というか裁判自体のことを何にも知らない私にとって、
なんか、こう嘘っぽいというか、
無理に裁判をドラマ仕立てにしてしまう最近の裁判ものの映画って、
タイトル見ただけでうんざりしていた。


「それでもボクはやってない」

周防監督の11年ぶりの新作。前評判はまずまず良い。
久しぶりに(半年ぶりくらいかな)劇場に映画を観るってことで
「とりあえず観ておこう」的なノリでこの作品を選んだ。
日本の裁判について、ちょっとでも知識を入れておこうと、
北尾トロの裁判傍聴記「裁判長!ここは懲役4年でどうすか」と、
この映画のもととなった痴漢えん罪事件本人による著書、
「お父さんはやってない」を読んで臨んだ。
この2冊は、日本の裁判を知るのにとてもいい教材。
特に後者は、被告人となった著者が無罪を勝ち取るまでを
本人の視点、家族(奥さん)の視点と、両面から時系列に綴られて
裁判がどのような手順で行われるのか、
それに関わる人(本人はもちろん、家族、支援者)が
どのような気持ちで裁判に臨んでいるのか。
そして、それがどれだけ長い時間が費やされているのか。
日本の裁判システムの問題を浮き彫りにしていた。

殺人でもなく、強盗でもなく、痴漢。
誰の身にも起こりうる事件を取り上げているところがいい。
スクリーンの向こうのお話で終わらず、
身近な題材、余白をもった淡々とした演出によって、
考える余地を与えてくれる。
決してドラマチックな展開があるわけでもない。
わけのわからん言葉を並べて
検事も弁護側も、裁判官も、事務的に裁判を進行しているという印象。
実際の裁判も、あんなもんなんだろうな。
アメリカの裁判ものと違うのは、みんな裁判官の方を向いている。
セリフにもあるのだが、
「裁判は私(裁判官)のもの」
というのがよく理解できた。

そして、加瀬亮。
彼がホントにいい味出している。
飲み会の席で、
「ちょっと悲しそうな永瀬っぽい」
と女の子から指摘されて、
ちょっと調子に乗ってしまうような、
そんなどこにでも居そうな男っぷりがいい。

邦画の興行収益が上がっているそうだけど、納得。
最近の邦画は、ハリウッドものよりも数倍おもしろい。

周防監督は、
「日本の裁判の現実をどうやったら伝えられるか。
 それしか考えてなかった。」
とコメントしているが、この映画は確実にその目的を果たしていると思う。
少なくとも、私にとっては。

posted by さとる at 23:11| 熊本 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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